これからこの場所で、会社のことや広告、マーケティングについて、少しずつ書いていきたいと思っています。

最初の記事として何を書くか考えたとき、まずは会社を設立した理由や、これからどのような会社にしていきたいのかを残しておきたいと思いました。

そこで今回は、「Sunday Park」という会社名の由来から、会社に込めた思いについて綴ろうと思います。

人生は地続き

私は以前から、仕事とプライベートを分けて考えることに違和感がありました。

週末に旅行へ行き、月曜日になれば仕事をする。

仕事が終われば友人と食事をし、家に帰って眠り、翌朝また仕事へ向かう。すべては一つの人生の中で起きていることであり、本来は地続きです。

それでも世の中では、仕事で抱えた負債をプライベートで返済するかのように、「仕事はつらくても、プライベートが充実していればいい」と語られることがあります。その言葉を聞くたびに、なぜ仕事は最初から「負債」であり、つまらないものであることが前提なのだろう、と疑問に思っていました。

そして、仮にプライベートが楽しければ本当に採算は取れるのでしょうか。

起きている時間の半分は仕事

そこで、よく私は時間で考えてみます。

大前提、人生にはいつか確実に終わりが来ます。私は限られた人生を悔いの少ない、幸せな人生にするために生きています。

1日8時間眠り、起きている16時間のうち8時間働くとすれば、私たちは起きている時間の半分を仕事に使っていることになります。

さらに、食事や入浴、トイレ、移動といった生活に必要な時間を差し引けば、仕事の濃度は毒であればもう致死量でしょう。

そう考えると、仕事はほとんど「どう生きるか」であり、会社はほとんど「どこで生きるか」なのだと思います。

どこで、誰と、どのように働くか。

それは単なる職業選択ではなく、人生そのものに近い選択なのではないでしょうか。

自分らしくないものを切り離したくなる

学生の頃、生活費を稼ぐためだけにアルバイトをしていた時期がありました。当時の私は、「お金のために仕方なくやっているだけ」と考え、仕事と自分の人生を切り離そうとしていました。

今振り返ると、それは仕事をしている自分が、自分らしくなかったからだと思います。

生活のために、やらざるを得ないからやっている。つまらなく働く自分を自分だと思えるほど強くありませんでした。

だから、目の前の仕事も、自分がやりたくて取り組んでいるのではなく、誰かにやらされている。そう考えることで、仕事を自分の人生ではないものとして扱おうとしていました。

そして今になって思うのは、会社の側にとっても、人に「やりたい」と思ってもらえる環境をつくるより、指示やルール、罰則によって「やらせる」方が簡単だということです。

この利害が一致することで、仕事はますます人生から切り離されていくのだと思います。

仕事は楽しい方が成果もいい

けれど、どれだけ切り離したつもりでも、実際にはすべて同じ人生の中で起きています。正解がわかるのは人生が終わる時かもしれませんが、私は、自分が人生を終えるとき、週末の積み重ねだけで、人生の採算が取れるとは思えませんでした。

だからこそ、仕事をしている時間そのものを、楽しいと思える時間にしたい。それは、自分も、自分の大切な人たちも。そういう場所をつくりたいと考えるようになりました。

やらされる仕事よりも、心が躍り、前のめりになって取り組む仕事の方が、断然楽しい。そして、そうした仕事の方が、普通にいい成果につながるんじゃないか。

言葉にすると、あまりにも当たり前のことかもしれません。でも、なぜこれほど当たり前のことが、仕事になると実現されなくなるのでしょうか。

ビジネスによって歪む"アタリマエ"

私には、もう一つ強い違和感がありました。それは、「ビジネスだから」という言葉によって、本来は"アタリマエ"であるはずの感情や善悪が、簡単にねじ曲げられてしまうことです。

「ビジネスだから、楽しくなくて当然」「ビジネスだから、嘘をついてでも儲ければいい」「ビジネスだから、社員をうまく騙して頑張らせればいい」。表現の違いはあっても、これに近い出来事を目にすることが何度もありました。

しかし、ビジネスであるかどうかにかかわらず、良くないことは良くない。そして、つまらないよりも、楽しい方が確実に良いと思います。

成果を追求することと、楽しく働くこと。利益を生むことと、誠実であること。これらは、本来どちらか一方を選ぶものではないはずです。

「ビジネスだから仕方がない」と言って、人としてアタリマエに大切なものを諦めたくないと思いました。

会社名は「何をするか」ではなく「どういう場所であるか」

社名を決めるにあたって、最初に考えたことがあります。会社が、人の人生の大きな一部を過ごす「場所」なのであれば、会社名も、提供するサービスや事業内容ではなく、「どのような場所でありたいか」を表す名前にしたい。

もちろん、お客さまへの分かりやすさや営業上の合理性を考え、サービスや事業の内容を社名にすることも一つの考え方だと思います。それ自体を否定するつもりはありません。

ただ私は、関わる人の人生の一部、場合によってはそのほとんどを預かる場所として、会社が「何をするか」よりも「どうありたいか」を社名に込めることを優先したいと思いました。

Sunday Parkという社名に込めたこと

その思想に合っていたのが、「公園」でした。公園は、誰かに強制されて行く場所ではありません。行きたいと思った人が、自分の意思で足を運び、遊ぶ場所です。

だからこそ、来てほしいと思うのであれば、「行きたい」と思ってもらえる場所へ磨き続ける必要があります。会社も同じです。人を強制的に縛ることで成り立つのではなく、「ここで働きたい」「この人たちと仕事がしたい」と思ってもらえる場所であり続けなければならない。その意味を込めて、「Park」という言葉を選びました。

そして、「ビジネスだから仕方がない」という考え方への、ある種のアンチテーゼとして、「Sunday」という言葉を入れました。ビジネスモードの切れた休日の心持ちで当たり前の感覚を大事にしながら働きたい。

そして、遊びに本気になるときのように、夢中になって仕事に取り組む。

そんな日曜日の公園のような会社にしたいと思い、「Sunday Park」と名付けました。

価値観を、社会への価値につなげる

ここで話しておきたいのは、遊ぶというのは身勝手にやりたいことをやったり、やるべきことから逃げて楽な方に流れるという事ではありません。

自由であることは、責任を手放すことではなく、より大きな責任を引き受けるという事です。むしろ楽しく働くということは、より圧倒的なプロ意識と能力の上でしか成り立たないと考えています。

Sunday Parkも、資本主義社会の中で事業を行う一つの会社です。そこを履き違えたらあっという間に終わるでしょう。

楽しく働いていれば、会社として存在し続けられるわけではありません。社会や顧客に価値を生み出せなければ、この場所はいずれ消えていきます。

だからこそ、自分たちが大切にする価値観を、自己満足で終わらせるのではなく、社会に対する付加価値へとつなげていく。価値観と成果が矛盾せずに共存できることを、私たちは事業を通じて証明していかなければなりません。

簡単な事ではないと思いますし、私自身まだまだ未熟です。絶えず人格と技術を磨き続け、ここを良い場所にするための生き方をしていきたいと思っています。

すべては、これから

もちろん、名前をつけただけで、そのような会社になれるわけではありません。

どのような人と働くのか。

どのような仕事を選ぶのか。

利益と誠実さを、どのように両立するのか。

誰かが困っているとき、どのように行動するのか。

ひとつひとつの選択によって、Sunday Parkという場所がつくられていきます。会社に完成形はありません。

やらされるのでなく、主体的にやる。やらせるのでなく、やりたくなるようにする。

遊び心を持って没頭し、圧倒的な技術と成果を上げる。

ビジネスの慣行やルールに従うのではなく、自分たちの頭で考え判断する。

そんな会社になれるよう、これからひとつひとつの仕事と選択を積み重ねていきます。